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“わずか5分”で迫る津波から乗客を守る「VR訓練」JR西日本とKDDIの新しい取り組みはなぜ生まれた?

“わずか5分”で迫る津波から乗客を守る「VR訓練」
JR西日本とKDDIの新しい取り組みはなぜ生まれた?

日本の重要な交通インフラである鉄道の安全を守る上で大きな課題となっているのが、地震や津波から乗客を守るための災害対策だ。近い将来、南海トラフを震源とする大地震の発生も予測されており、決して予断は許さない状況だ。

「災害が起きたとき、鉄道はトンネル内で止まるか、走り抜けるか。この判断で生死が分かれることもあります」──西日本旅客鉄道(JR西日本)で災害対策に携わる鹿野 篤志課長(鉄道本部 安全推進部 安全基準課)は、警鐘を鳴らす。

少しでも被害を軽減させるためにどのような対策が取れるか、そこで同社がKDDIと協力して開発、導入したのが、仮想現実(VR)技術を使った乗務員向けの地震・津波疑似体験ツールだ。

電車の運転席視点から地震、津波が発生するまでの状況をシミュレーションして体験できるもの。乗務員がVRを通してその状況下に慣れることで、いざというときの対応力や判断力の育成を目指すという。

JR西日本はなぜ訓練ツールにVRを選んだのか、そしてKDDIと手を組んだ理由とは。両社に話を聞いた。


VRで災害発生時のイメージトレーニングを

和歌山県の紀伊半島を海沿いに走る紀勢(きせい)本線。和歌山県の想定では、南海トラフ地震の発生からわずか5分以内に10メートルの津波に襲われる可能性があるという。

同社はこれまで、さまざまな災害対策に取り組んできた。県が作成した「津波ハザードマップ」を全乗務員に配布しているほか、紀勢線沿線には津波から避難するときに役立つ案内標識などを数多く設置。地震発生から津波警報の発令までを待つことなく、電車が緊急地震速報を受信した時点で即座に避難誘導を始めるなど、災害発生時の運用ルールも改良を続けている。

災害発生時は時間との戦いだ。まずは乗務員が列車のドアを全て開け、乗客には線路に飛び降りてもらうことで時間を短縮するという。一人一人慎重に降ろしていては、とても津波から逃げることはできないからだ。

もちろん高齢者のように電車からの飛び降りが難しい乗客が使える降車台や、簡易ハシゴも駅間の線路に多数整備した。さらに乗務員は現在地点から避難場所までの最短ルートが分かるアプリを入れたタブレットも携帯している。

このように、JR西日本では設備やルールを整えることで災害への対策を日頃から続けている。しかし、実際に万が一の場面に遭遇したとき、乗務員は冷静な対応を行えるだろうか。鹿野課長は「電車が走っているときに災害が起きたらどうなるか、そういったシビアな状況に乗務員が慣れておく必要がある」と判断。よりリアルな訓練システムの導入を検討していたという。

JR西日本が導入するVRを活用した災害訓練システムは、6Kの高解像度で表示される運転風景にCG(コンピュータグラフィックス)を重ねて地震発生や津波による被害のようすをVR空間上に再現。顔の動きによって視線を自由に動かしたり、コントローラーで電車の加速や減速を行ったりできるため、実際に電車を運転している感覚が体験できるという。

VR空間上で電車を走らせている間は、現在地の標高や浸水エリアマップ、津波到達想定時間、想定浸水深などの情報を集約して視界上に表示。JR西日本が開発したスマートフォン向け「津波避難アプリ」と同じ画面がVR映像上に表示されるため、電車の停止位置から最も近い避難場所、線路沿いに設置されている津波の想定浸水深、最寄りの避難出口、避難に適した高台の位置を示す標識なども映像を通して確認できる。

「緊急地震速報を受信して警報が鳴る。VR空間上で後ろを振り向くと、突然停車した電車に困惑する乗客の姿。電車が停止させてしばらくすると津波が迫ってきて……」

──実際に災害が発生した時のような緊迫感のある中で訓練を繰り返すことで、実際の現場で起こる緊急時にその場に停止したほうがいいのか、移動したほうがいいのか、乗客をどこに誘導するべきか、万が一の場面でも運転士が冷静な判断を行えるようにするのが狙いだ。

鉄道会社が試行錯誤を繰り返しながらここまで安全を追求する理由は、現場の切実な危機意識があったことも大きいという。

西日本旅客鉄道株式会社
鉄道本部 安全推進部 安全基準課 課長

鹿野 篤志氏

災害訓練システムにVRを導入した決め手は、現実的なコストでリアルなシミュレーションが可能になったことが大きいという。同社は以前から、高所作業といった労働安全の部門でVRの導入を検討してきたが、これを電車の災害訓練にも利用できるのはないかと思い立ったという。

「従来のシミュレーターは実際の紀勢線とは異なり、津波対策に使えないという問題がありました。しかし、リアルなシミュレーターを作ることはコスト的に難しかったのです」(鹿野課長)

VR機器のコントローラーによる操作性も、従来のキーボード操作によるシミュレーターに比べて実車をリアルに再現できる点が魅力的だったという。VRを用いることで、個々の乗務員が災害発生時にどのように反応するのかを観察しながら指導できると鹿野課長はメリットを挙げた。

現場のフィードバックを得ながら丁寧に開発

JR西日本から依頼を受け、VRコンテンツの製作を請け負ったKDDIはどのようにシステムを開発していったのか。実はJR西日本から依頼を受けた当初、KDDIは法人向けにAR(拡張現実)コンテンツを提供していたものの、VRはコンシューマー向けの事例しかなく、及び腰だったという。

KDDIの若森 宗仁(ソリューション関西支社 法人営業2部 営業2グループ チームリーダー)は「2016年の7月に最初のお話をいただいたとき、VRをどのように業務利用できるか、手探りの状態だった」と振り返る。

そこで同社は、協力ベンダーとともにデモ版を開発。JR西日本から依頼された「鮮明で没入感のある映像を」という要求に応えながら、画面上に想定浸水深をグリッド表記して津波の高さを直感的に表示する「データの見える化」に取り組んだり、津波の臨場感を高めたりなど、緊急時のシミュレーター、そして地震・津波疑似体験ツールとしての工夫を次々と入れていった。

「5メートルの津波とその場でいわれても実感がありません。そこで風景に薄い青色の表示を重ね、やや怖いくらいの臨場感で津波を体験できるようにしました」(若森)

KDDI株式会社
ソリューション関西支社
法人営業2部 営業2グループ チームリーダー

若森 宗仁

KDDI株式会社
ビジネスIoT推進本部 ビジネスIoT企画部
サービス企画2グループ

前田 さとみ

リアルな映像にもこだわった。撮影時点では、運転士の頭上近くにカメラを設置し、9Kの高解像度動画を360度で撮影。VR HMD(ヘッドマウントディスプレイ)「HTC Vive」で表示する際は6Kの解像度に落として使用した。苦労した点は映像のフレームレート数(1秒間あたりの映像コマ数)だったという。

システムの企画・開発に携わったKDDIの前田 さとみ(ビジネスIoT推進本部 ビジネスIoT企画部 サービス企画2グループ)は「フレームレートは高い方が映像は滑らかに見えます。そこで、電車を実際の速度より遅い時速30キロで走らせ、より多くのコマ数を撮影することで自然に見えるようにバランスを調整していきました」と説明する。

また、地震・津波疑似体験ツールは単に映像を見せるだけではない。VR内にマップを表示したり、コントローラーを使った電車の加減速に対応させたりする必要がある。

ツールのプロトタイプが完成したとき、実際に体験したJR西日本の硲 重行さん(和歌山支社 安全推進室(企画・防災))は、操作感に不満を覚えたという。

「デモ版では電車を止める操作をすると、本物のように徐々に停止するのではなく、瞬時に映像が止まっていました。これでは導入は難しいと感じたため、少し予算は掛かりましたが、現実の電車のように止まるよう変更していただきました」(硲さん)

運転士からのフィードバックを受けながら改良を続けるなど、JR西日本の要望に沿って細かく完成度を高めていったという。硲さんは「“見る”だけのVRではなく“使うVR”を目指した」と説明する。

JR西日本は地震・津波疑似体験ツールの導入を検討し始めたとき、KDDI以外の事業者にも打診していたという。「早期に提案を受けた他社のシステムでは、映像の中でトンネルを抜けた直後に白とびしてしまうなどの問題があった。最後は、実際にシステムを利用する現場の和歌山支社に任せたところ、KDDIにお願いするに至った」と鹿野課長は振り返る。

西日本旅客鉄道株式会社
和歌山支社 安全推進室(企画・防災)

硲 重行氏

現場からもリアルな映像が高評価

こうして完成したシステムは、現場からも高評価を得られたという。

「和歌山から東京に乗務員を連れていって体験させたところ、あたかも本当に運転しているかのようだと驚きの声が上がりました」(鹿野課長)

乗務員にとって重要な「景色を覚える」教育にも使えるのではないかと手応えを感じたという。JR西日本では、このVRシステムをまず2台導入。まずは津波が到着するまでの時間が少ない新宮駅~串本駅間の映像を優先した。

今後の機能拡張についても、乗務員の意見を取り入れながら実現していく。既にデモ版の段階では、VR画面と連動して椅子が振動するボディーソニック機能を実現していた。今後はウェアラブルデバイスと連動した体験者の心拍数の取得や、視野・視点追尾、車両のCG化による車両内移動のシミュレーションといった機能拡張も検討するという。

KDDIが意識するのは「顧客の中心事業に貢献すること」

KDDIとして、今回の災害対策システムはVRを業務用のソリューションとして提供した初めての事例になる。今後はどのようにVRをソリューションとして展開していくのだろうか。

「災害などへの対策以外にも、広告用途などが考えられます。普段なら危険で絶対に体験できないようなコンテンツにVRは適しているため、お客さまの業務に寄り添いながら、丁寧に作っていきたいです」と前田は構想を語った。

一方、KDDIのソリューション営業としての考え方は「VRありき」ではなく、どういった内容でもまずは相談してほしいという。

「かつてKDDIは、ビジネスに活用できるものとして電話やネットワークを売ってきました。だが、今やそれらは当たり前に存在する時代です。お客さまの課題やテーマに寄り添い、われわれの技術やサービスで具現化することで、お客さまに寄り添い、事業へ貢献していきたいと考えています」(若森)

業務で抱えている課題を技術で解決できないか──そういった悩みを持つ企業は気軽にKDDIへ相談することで、JR西日本のように解決への糸口がつかめるだろう。

【ITmediaにて2017/9/22-10/21まで掲載】