アジャイル型企画開発手法の一つとして注目が高まっている「スクラム」。その提唱者であるジェフ・サザーランド氏が設立したScrum Inc.とKDDI、永和システムマネジメントの3社が2019年1月に「Scrum Inc. Japan」を設立し、日本国内におけるスクラムの普及に向けて事業を開始した。スクラムは、日本企業のビジネスプロセスをどう変えるのか。また、変化の激しい時代の中で真に機能する組織のあり方とは。KDDIでスクラムの導入をけん引してきた実績があり、現在Scrum Inc. Japanの社長を務める荒本 実氏、Scrum Inc.において欧米の大企業の組織的な変革をプリンシパルトレーナーとして支援し、Scrum Inc. Japanに加わったJoe Justice氏、KDDI ソリューション事業企画本部 事業企画部の吉川 元規が意見を交わした。 ※本文中敬称略
※ 記事内の部署名、役職は取材当時のものです。
――今、DXを推進している日本企業の多くはどのような課題に直面しているのでしょうか。
荒本 デジタルトランスフォーメーション (以下、DX) を実現するには、ビジネス部門と開発部門が協働してものづくりを行うことが重要です。日本企業の多くは役割別に組織が分断されており、それがDXを阻害する要因になっています。また、失敗を極度に恐れる傾向が強く、あらゆるプロジェクトが「各工程でチェックを行い、一つ一つ承認を得ていく」という重厚長大な社内プロセスを経て進んでいきます。承認者が多いことに加え、現場でものづくりに携わる人たちに権限が委譲されていないがゆえに、プロジェクトの進行スピードは遅くなり、開発過程でアイデアの革新性は角を削り取られ、結果的にありきたりなものに行き着いてしまう――そんな傾向にあると言えるのではないでしょうか。
Joe 世界的に見ても、日本のビジネスは今、業務プロセスの効率化が求められている段階と言えます。また、日本に限らずヨーロッパやアメリカでも、DX実践に適した組織づくりやビジネスプロセスに対する経営層の理解が不足していることが問題視されています。
荒本 実
吉川 新しいものをスピーディーに生み出すための組織づくりやテクノロジーの活用が、遅々として進んでいないのが現状です。今、私たちの身の回りに浸透しているFacebookや Google、Amazonといったサービスが一体どんな開発プロセスでつくられていて、なぜ多くの人々の支持を得ることができているのか。まずはそこを経営層や管理職が理解する必要がありますね。
荒本 さまざまな企業でDXに取り組む現場担当者を対象にトレーニングを行っていても、まずは経営層や管理職が変わることが求められていると感じます。ディテールまでつくり込んだサービスやプロダクトをリリースするという、かつてのソフトウェア開発手法が成功体験として根づいているがゆえに、変革に踏み切ることができないマネジメント層は少なくありません。
Joe Justice
Joe 日本企業の強みは、ディテールへの徹底したこだわり、サービス・プロダクトの品質の高さ、そしてビジネスをじっくりと進めていく忍耐強さだと思います。しかし、今の世界市場では、こうした強みは評価されにくいのが実情です。日本企業が元来持つ強みを生かしながら、グローバルで求められるビジネスのスピード感に対応するためには「組織の再構築」が必要です。
――そこで昨今、アジャイル型の開発プロセスへの変革が必要と言われていますが、なぜこの手法が日本企業の課題を解決することにつながるのでしょうか。
荒本 一言で言えば、その「組織の再構築」に対して最も効果的な手法であるからです。変化の激しい市場においては、「答え (ゴール) がわかった上でつくる」のではなく、「つくりながら、お客さまが望むサービス・プロダクトを見出す」開発が求められています。
まずはクイックにつくってみて、それに対するお客さまのフィードバックや、その過程で得られた知見を基に方向を修正していく。「経験的プロセス制御」と呼ばれるこうしたプロセスを通じて、本当にお客さまが必要としている機能を見つけ出し、具現化するのです。小さなサイクルを繰り返しながら開発を進めていくアジャイル型企画開発は、まさにそのための手法です。その中でも「スクラム」は、経験的プロセス制御を実行するのに適した手法だと言えます。
かつてのサービス・プロダクト開発は、企画→設計→制作→営業のように、役割別の部門から部門へとプロジェクトを引き渡しながら進めていくスタイル (ウォーターフォール型開発) が主流で、多くの時間を要しました。一方でスクラムは、さまざまな専門性やスキルを持った人たちが集まり、ビジネスと開発が一体となった少人数のチームを組んでプロジェクトを進めるスタイルです。ウォーターフォール型開発の重荷だった「部門間の引き渡し」「度重なる社内承認」というプロセスを排除しているため、開発スピードを格段に上げることができます。
このアジャイル型企画開発、ひいてはスクラムを組織に定着させ、組織を再構築することで、日本企業がDX実践において抱える課題をクリアできると考えています。
――KDDIは5年前にビジネスプロセスの変革に着手し、現在はアジャイル型企画開発手法の一つであるスクラムを推進されています。ビジネスプロセス変革の必要性に気づいたきっかけについてお聞かせください。
吉川 アジャイル型企画開発へと変革する必要性を私自身が経験したのは、数年前に新しいサービスのUIを開発していたときのことでした。要求仕様書を書いて開発会社に依頼したところ、要求仕様書通りの仕様ではあるものの、理想とは異なるものが完成品として上がってきたのです。しかし、これをつくり変えるには、再び時間をかけて多くの工程を経なければなりません。これがウォーターフォール型開発の特徴で、お客さまのニーズの変化や、完成イメージを踏まえた軌道修正などに迅速に対応できません。何か解決方法はないかと調べたところ、シリコンバレーではアジャイル型企画開発が一般的になりつつあると知りました。ただ、目の前の仕事にどう取り入れていいのかはわからない。そこで、Scrum Inc.と永和システムマネジメントに協力を仰ぎ、まずは社内のスクラム導入を進めることにしました。
吉川 元規
荒本 当時KDDIには3つの課題がありました。ひとつ目は、サービスのリリースサイクルが非常に長かったこと。2つ目は、役割別の組織体制の下、各部門が自分たちの役割に固執して、イノベーティブなプロダクト開発をできていなかったこと。そして3つ目は、それを実現するための開発を外部に依存していたことです。この3つの課題を克服するためにはアジャイル型企画開発、特にスクラムというフレームワークが有効だと判断しました。この課題意識は経営層とも共有できていたので、何とかスクラム導入が実現に至ったのだと思います。KDDIのように規模の大きい企業で、一気に企業全体を変えようとしても難しいことは容易に想像できるでしょう。5人という小さなチームからスタートし成功を積み上げたことで、3年間で200人のメンバーを擁する「アジャイル開発センター」にまで成長することができました。
先に述べた3つの課題は、KDDIのみならず多くの日本企業が抱える課題と共通するものだと思います。その根底には、「事業側が発注し、開発側が受託する」という、日本企業の間に根づくIT業界の多重請負構造があるのかもしれません。この慣習は「言ったことだけやってくれればいい」「言われたことだけやればいい」という意識を生みがちですが、DXの実践においてはお互いがそれぞれのスキルやアイデアを持ち寄って、新しいものを共創する関係へと変わっていくことが求められます。
——日本企業に特有のそうした文化がある中で、組織にスクラムを浸透・定着させるにはどうしたらいいでしょうか。
荒本 実際に開発現場にスクラムを導入し定着させようとすると、さまざまな問題にぶち当たるはずです。例えば、チームに必要なメンバーのアサインの問題、開発における承認プロセスや権限移譲の問題。こうした問題を解決できるのは、経営層や管理職に他なりません。Scrum Inc. Japanは、経営層・管理職に対するトレーニングやコーチングプログラムを提供することで、その問題解決をサポートしていきます。
Scrum Inc. Japanが取り除く、4つの組織の障壁
経営層を巻き込みながら、これらの障壁をクリアしていく
われわれが提供するプログラムのひとつに「Scrum@Scale」があります。これは、スクラムをスケールさせていく上での障壁を克服し、組織の中にスクラムを浸透・定着させていくためのフレームワークです。現場のスクラムチームが機能するために経営層・管理職がすべきことを知り、実践するためのトレーニングを行います。これにより、開発現場がスクラムという手法を取り入れやすい環境が整うと考えています
Joe 実際に開発を進める現場社員だけではなく、経営層やシニア層、中間管理職もスクラムのトレーニングを受けることが重要です。一方、スクラム導入を支援するには、「その企業のコアな価値は何か」、そして「それを維持しながら、いかにスクラムを活用して開発スピードを上げていくか」を診断した上でコーチングする姿勢が求められます。Scrum Inc. Japanは、企業のビジネスに寄り添いながら変革に向けて背中を押す“スマイリングドクター”でありたいと考えています。
吉川 世界の大企業の組織的な変革を数多く支援してきたJoeさんの知見や、伝統的な日本企業文化を持つ中でビジネスプロセスの変革を実践してきたKDDIの経験。これらを生かし、多くの日本企業の問題解決をお手伝いしていきたいですね。
荒本 スクラムの導入を支援することは、問題解決を目指して“伴走”することだと考えています。あくまでも主役はビジネスを行うお客さま企業であり、そこで働く社員の皆さんです。ビジネスプロセスの変革によって、お客さま企業が、ひいてはあらゆる日本企業が、次世代に求められる新たな価値を次々と創造できるようになってほしい。そのために、お客さま企業の中でスクラムが自走する環境を整えていくのが、われわれの役割です。