ウォーターフォール型からアジャイル型へ――企画開発プロセスの移行は、今や企業がデジタルトランスフォーメーション(DX)を実現する上で必須条件のように語られている。しかし、世界で最も普及しているアジャイル型企画開発手法のひとつ「スクラム」の提唱者であり、世界中の企業にスクラムによる組織変革を行ってきたScrum Inc. 創設者のジェフ・サザーランド氏は「スクラムを取り入れても、“真の”スクラムが実装されていなければ失敗に終わる可能性が高い」と話す。DXの成否を決するものとは一体何か。Scrum Inc. Japanの社長を務める荒本 実氏、KDDI ソリューション事業企画本部長 藤井 彰人が、「スクラムの父」と意見を交わした。
──DXを推進する企業が増える中、成功している企業とそうでない企業が出てきているように思います。
その要因はどこにあるのでしょうか。
ジェフ DXを成功させている代表的な企業といえば、アマゾン、マイクロソフト、アップルといった、世界の時価総額ランキングで首位を争っている企業です。これらの企業は、従来のビジネスにとらわれることなく多方面に事業領域を広げており、その結果、これまで各市場をリードしていた企業は苦境に立たされています。これからは、国境や業種業態の垣根を超えて、あらゆる企業がアマゾン、マイクロソフト、アップルと競争しなければいけないわけです。
ジェフ・サザーランド
DXを成功させるためにはアジャイル型の企画開発が不可欠と言われますが、フォーブス誌の調べによると、「アジャイル型企画開発モデルを取り入れたプロジェクトのうち約47%が失敗に終わっている」とのデータがあります。さらに、「失敗に終わったプロジェクトの約75%が、企業の倒産や買収といった重大な危機を招くことになった」というレポートもあるのです。
なぜアジャイル型企画開発モデルを取り入れても、スケジュールが遅延したり、予算が超過したり、顧客満足につながらなかったりと、上手くいかないことがあるのか。その理由は、アジャイル型企画開発の手法の一つである「スクラム」の実装方法にあります。
失敗したケースでは、“真の”スクラムが実装されていなかったのです。最初にスクラムについて言及された、一橋大学 名誉教授 野中 郁次郎先生の論文に記述されていた通りのスクラムが実行されていないということです。間違ったやり方では、生産性・効率性は上がりません。
藤井 さまざまな専門性やスキルを持った人たちが集まり、ビジネス部門と開発部門が一体となった少人数のチームを組んでプロジェクトを進めるのがスクラムです。「部門間の引き渡し」「度重なる社内承認」というプロセスを排除することで、企画開発のスピードを格段にアップさせるのが特徴です。
しかし実際のところ、新しいやり方に変えたつもりで、実は過去のやり方を踏襲しているに過ぎないケースも多いと感じます。たとえば、現場がスクラムを採用しても、リーダーシップがウォーターフォール型のままでは意味がありません。つまり、プロジェクトの各工程で承認を得る必要がある上、承認者の人数が多く、現場に権限が委譲されていない――そんな状態のまま、スクラムを導入しようとしているケースが少なくないのです。
それにしても、スクラムの起源は日本の野中先生の論文にあるのに、今、日本企業が「アメリカのIT企業で活用されている新たな手法」としてスクラムを採用せねばならないのは皮肉なことですね。
ジェフ 皮肉ではありますが、ネガティブにとらえる必要はありません。過去を振り返ると、アメリカと日本の間ではイノベーションを起こすための手法が行ったり来たりしています。
藤井 彰人
第二次世界大戦後にエドワード・デミングが日本にてPDCAサイクルを伝え、トヨタにおいて「リーン」(ムダの徹底的な排除など、トヨタ生産方式に代表される生産手法)が生まれました。そのトヨタ生産方式を研究し、体系化したリーン生産方式の影響を受けてスクラムが生まれ、今、日本に改めて輸入されているわけです。
荒本 実
荒本 「デジタル技術を活用して、イノベーションを創出する」という点では、企業規模に関係なく、大企業もスタートアップも平等にチャンスがあります。となると、実行スピードをいかに速めるかが重要になります。少人数のほうが実行スピードは速いわけですから、競合に勝つために、特に大企業においては、スピード感をもったプロセスへの変革が迫られていますね。
――そもそもDXを実現するのに、なぜウォーターフォール型ではなくアジャイル型のプロセスが有効なのでしょうか。
ジェフ ウォーターフォール型の開発モデル(各フェーズにフィードバックのない一方通行的なモデル)は、アメリカの国防総省が1980年代に定めた調達標準として世界に広まりました。当時、国防総省はアメリカにおける大規模なソフトウェア開発プロジェクト予算の60%を拠出していましたが、このモデルは後に大問題であったことが明らかになります。というのも、ウォーターフォール型を活用した国防総省のITプロジェクトのうち、実に75%が失敗に終わったのです。
この結果を受けて、プロジェクト内容を見直す委員会が結成され、よりスピーディで反復的なやり方へとシフトする必要性が議論されました。そして2013年に「すべての国防総省のITプロジェクトはアジャイル型のプロセスで行わなければならない」という法律が可決されたのです。
藤井 日本企業の組織は階層的につくられていることが多いので、ウォーターフォール型の手法はフィットしやすい。しかし、プロジェクトのゴールが共有されず、下流工程を担う人たちが「目の前の作業を、何のためにやっているのかわからない」ということがよくあり、これがプロジェクトの生産性・効率性を損なっているように思います。
ジェフ アメリカに『ディルバート』という漫画があります。主人公の技術者を取り巻く“管理的”な職場を舞台に、さまざまな問題が次々と起きる様子が皮肉めいたユーモアで描かれています。マネージャーがおかしな意思決定をしたせいで、現場が大混乱するというシーンがよく出てきますよ(笑)。
――そうした失敗は日本企業でもよく見られます。
アジャイル型の企画開発を実現するにあたり、正しいスクラムを取り入れると、どんな変化があるのでしょうか。
ジェフ 新著『The Scrum Fieldbook』でもさまざまな企業の事例を紹介していますが、トヨタや、化学・電気素材メーカーのスリーエム、酒類メーカーのアンハイザー・ブッシュ・インベブなど、さまざまな世界的な企業に対して、私は“真の”スクラムのメソッドを伝授してきました。その結果、通常は53%と言われているアジャイル型企画開発のプロジェクトの成功率を、大幅に引き上げることができました。
ある大手石油会社の例をご紹介しましょう。その企業は1億ドルをコンサルタントに支払ってアジャイル型の開発プロジェクトを進めていました。そのプロジェクト実現のために人員を600名から1200名に倍増したものの、生産性は全く変わらなかった。そのコンサルタントはアジャイル型企画開発の実装に必要なことを何もわかっていなかったのです。困り果てた同社のCIOから電話を受けて、私は「“真の”スクラムのトレーニングをしなければならない」という話をしました。そして、石油会社にScrum Inc.のコーチを派遣して、社内でいくつかの小さなスクラムチームを立ち上げたのです。
チームの立ち上げまでにはいくつかの組織的な課題を解決する必要がありましたが、小さなチームでまず成功事例を出し、社内に広げていくプロセスが重要だと考えていました。そうした取り組みの結果、「完成までに何年かかるかわからない」と言われていたプロジェクトが、わずか一年後には完了したのです。
これが、“真の”スクラムを実現したことによる変化です。よりスピーディに進めていく必要のあるプロジェクトにおいて、アジャイル型への変革をより効率的に行うことができる手法なのです。
荒本 ジェフさんがおっしゃった通り、アジャイル型の企画開発ではスピードが求められます。短いサイクルの中で計画を立てて実行し、実行した内容をチェックして、学んだことを次のサイクルに生かす――スクラムは、その繰り返しによって成果に結びつけていく手法です。プロジェクトの規模が大きい場合は、まず疎結合された小さなプロジェクトに分解し、各工程を権限移譲された機能横断型の小さなチームが担います。それぞれのチームが同時並行で仕事を進めることで、大きな仕事を素早く終わらせることが可能になります。このスクラムのフレームワークこそ、アジャイル型の企画開発を実現するのに最適なのですよね。
ジェフ その通りです。多くの企業がアジャイル型企画開発の実装に失敗するのは、大きな仕事を実現するために300のチームが必要だとしたら、その300のチームを一度に立ち上げようとするからです。これはリーダー側が依然としてウォーターフォール型のリーダーシップをとっていることの証でもあります。一方で成功している企業は、リーダー自身が、官僚主義的な企業風土を取り払ったり、社内の制度を変えたりと、ウォーターフォール型のプロセスに傾倒する要因を取り除いていきます。
そうしたリーダーを育てるためには、リーダーの人事評価基準を変える必要があるでしょう。「どれだけアジャイル開発チームを立ち上げたか」によって評価されるシステムにすべきです。
ということは、スクラムの実行、アジャイル型企画開発の実現には、経営陣のサポートや理解が必須だということです。
藤井 おっしゃる通り、日本でも経営層がアジャイル型企画開発、さらにいえばスクラムを正しく理解しないまま、部下に丸投げしていることが問題になっています。現場が手法を変えても、評価基準・評価方法がこれまで通りであれば、正しいスクラムは実現できない。やると決めたら、ビジネスプロセスをスクラムの原理原則に則ったプロセスへと変えなければなりません。スクラムのルールブックである「スクラムガイド」(スクラムの定義や進め方を解説したドキュメント)やジェフさんの著書を読むと、誰でも簡単に真似できそうな気がするのですが、実際にやってみると難しい。
アジャイル型企画開発を実現するには、スクラム手法を学び、実行して、チェックして、必要に応じて軌道修正して実行して、またチェックして……という正しい鍛錬を積み重ねることが重要だと、より多くの日本企業に知ってもらいたいと思っています。
ジェフ そうですね、スクラムは武道のようなものと言えるかもしれません。合気道の師範の様子を見て「自分もできそう」と思っても、なかなか上手くいきませんよね。きちんと基本の型を身につけ、練習を重ねることが重要です。
――Scrum Inc.のトレーニングを経ることで、事業へのポジティブな変化は期待できるのでしょうか。
ジェフ 事業としての成果と、チームとしての成果が明確に出ます。例えばある大手銀行の赤字部門にスクラムを導入したことで、わずか6カ月でその部門が「企業全体の中で最も利益率の高い部門」へと変化しました。
また2009年には、ソフトウェアプロバイダのペガシステム社がスクラムを導入したことで、導入期間中に株価が4倍にまで跳ね上がりました。2018年には、スリーエムで同様のプロジェクトを行い、かつて見たことがなかった伸び率で株価が急騰しました。このように、非常に明確な事業成果を得られるのがスクラムの特徴です。なぜならスクラムの実行にあたっては、プロジェクトのゴールと、その達成のために「何をすべきなのか」を、極めて明確・仔細に提示するからです。
ただし、スクラムの手法は、サッカーにおける「ルール」のようなものです。ルールを守っても試合に負けることがある。試合に勝ち続けるためには、ルールを守りながら、「スクラムガイド」には載っていないいくつかのプラクティスに取り組み、トレーニングする必要があります。
荒本 Scrum Inc. Japanでは、Scrum Inc.がグローバルで提供しているトレーニングと同じものを、日本企業向けにカスタマイズしたプログラムとして提供しています。海外事例の知見が蓄積されているのが強みですが、一般的なコンサルティングのように「海外の事例をそのまま日本で紹介する」というわけではありません。
日本企業には受託開発の文化が根強く、アメリカの事情とは異なる部分もあります。日本でビジネスプロセスの変革を実践してきたKDDIの知見と、システムインテグレーターの立場を知る永和システムマネジメントの知見に、海外でのScrum Inc.のベストプラクティスを組み合わせることによって、「日本ならでは」のアジャイル企画開発の実装を後押しできるのがわれわれの強みです。
ジェフ スクラムを導入することは、「OSを変える」ことに似ています。ウォーターフォール型からアジャイル型への変革は、慣れ親しんだWindowsからMacへ移行するほどの変化なのです。ですから経営陣、リーダーの立場の方にもぜひトレーニングを受けていただきたい。一度トレーニングを受けたら、武道のように日々練習を重ねる。その積み重ねによってスクラムが組織に根づき、事業成果へとつながっていきます。