目に見えない保険の価値をいかにして伝えるか。その答えを追求しているのが、DXを加速させる住友生命だ。
保険の常識を覆すと言われる健康増進型保険「Vitality」はどのように誕生し、今後どのような発展を遂げるのか。
住友生命保険相互会社 理事 デジタルオフィサーの岸 和良 様に話を聞いた。
(聞き手はノンフィクションライター 酒井 真弓 さん)
住友生命保険相互会社
理事 デジタルオフィサー
岸 和良 様
ノンフィクションライター
酒井 真弓 さん
住友生命は2018年、健康増進型保険「Vitality」の提供を開始した。従来の生命保険にはない特長として、お客さま (保険加入者) が健康のために自ら行動変容を起こしたくなる仕掛けが施されている。
上記は一例で、他にもさまざまな特典がある。さらにこれらの行動結果がポイント化され、一定の条件を満たせば保険料が下がる仕組みも取り入れた。つまり、運動すると「いいこと」があるのだ。保険加入に合わせてジョギングや自転車で毎日のように汗をかき、いつの間にか健康を意識するようになっていく。タクシー移動をやめて歩く人が増加し、仲間を募ってジョギングを始める人も現れたというのだ。
では、運動しないとどうなるのか。保険料の割引率が悪くなってしまう。適度な運動と食事によって、心身ともに健康になれるウェルビーイング向上のプラットフォーム。それが、「Vitality」がもたらす保険の新たな価値といえるだろう。
従来の保険とは全く違う発想から生まれた「Vitality」。ローンチ前、社内は反対多数だったという。
「運動しないと保険料が上がる」という仕掛けは本当によいことなのか、と疑問の声が上がったのだ。
突破口となったのは、「国の医療費支出が多い」という日本全体を取り巻く社会問題だった。運動不足や偏った食生活、ストレスなど、一人ひとりの悪い生活習慣が、やがてこの国の財政を圧迫する。そのことは、社内の全員に通底する危機感だった。
そこで、「本当に健康になってもらうには保険料が下がるだけでなく、上がることこそ行動変容につながる」という点を押し出した形でのサービスインに至った。
加えて、サービス設計を進める上で難しかったのが特典 (リワード) だ。
「Vitalityを通じて『どうしたら歩いてもらえるのか』『どんな特典を用意したらお客さまは喜んでくれるのか』、そんなことばかりを考えるようになりました。特典を出してくれるパートナー企業さまを集めることも初めての経験でした」(岸様)
サービスの提供開始から3年が経過した今、契約者は右肩上がりに伸びており2021年上半期時点で約90万件 (注1)となっている。
同時に、Vitalityの世界観を理解し、協力してくれるパートナー企業も増加した。岸様自身が街を歩いていても「このサービスとVitalityを組み合わせたら、お客さまの行動変容につながるかも」と、アイデアが湧いてくるようになったそうだ。
ここまで説明した同社の「Vitality」は、一見デジタルを活用した取り組みには見えない。
しかし、住友生命はDX人材の育成を本格化した。保険会社と契約者がVitalityアプリを通じて常につながり、ポイント獲得やリワードを通じてエンゲージメントを深める点に、DXの考え方に通じるものがあったからだ。
そこで岸様は「Vitality DX塾」を立ち上げた。社内でDX人材候補を発掘すべく人材や知識アセスメントを行い、個人の適性や資質を洗い出した上で、ワークショップを繰り返している。DXを推し進めるには、どのような人材が求められるのだろうか。
「Vitality DX塾では、毎日のように新たな課題に直面し、『もう無理なんじゃないか』と声が上がることもありました。でも、私は無理を通すのが好きな人間なので、『これだったらいけるかもしれない』と強引に推し進めた部分もあります。そのときに感じたのが、最前線で矢面に立つ人間は、『イノベーティブじゃないと心がもたないな』ということです。普通は嫌になって心が折れてしまうでしょう」(岸様)
しかし、これだけではDXは進まないと岸様は言う。
「イノベーティブ資質がある人は、『常に新しいことをしたい』と思っています。面白そうなものを見つけてパッと飛びつけるわけです。でも、そういう人は事務作業が苦手だったり、ルールに従うことが嫌いだったりします。実際にサービスを開発してみても、思い通りに形にならないこともあります。ですから、理路整然と社内を調整し、プロジェクトをマネジメントできる遂行力の高い人材も同時に必要なのです」(岸様)
「Vitality DX塾」では、「マインドセット研修」「遠隔ワークショップ研修」という2つのコースを用意している。前者は希望者を対象としたワークショップ形式の研修で、1日缶詰めになって新たなビジネスを考える、というものだ。
「『いま困っていることは何か、どんなサービスがあったら嬉しいか、お客さまの立場で考えよう』というお題に、『共働きで育児も買い物も大変、そんなときこんなサービスがあれば』と考えるわけです。普段はそんなこと考えないし、考えたとしても、誰もそのアイデアによいとか悪いとか言ってはくれないでしょう。それを、『これはいいね』『実用化できそう』『収益性が考えられていないからやり直し』と、本気でコメントしていくのです」(岸様)
一生懸命考えたものを否定されることで、参加者はだんだん本気になっていく。「悔しい」という気持ちがモチベーションに火を灯していくのだ。「たった1日で変わるわけがない」と言う人がいる。しかし、そう言う人の多くは、実際にやったことがない人だろう。参加者に「面白かった」と言わせることが、DX人材育成の第一歩かもしれない。
「Vitality」の次なる展望は何か。岸様は、「日本をもっと幸せにしたい」と語る。
「『幸せにするって、保険にそんなことできるの?』と思われるかもしれませんが、例えば、契約者個人のフィジカルデータやライフログを分析することで、幸せを数値化できるのではないかと考えています。医学的な裏付けもした上で提案できれば、日本をもっと幸せな国にできるはずです」(岸様)
「Vitality」以前の住友生命では、そんなことを言っても誰一人として共感してくれなかった。だが今は違う。
「私もそう思っていた」「これからは貨幣経済ではなく心の経済だよね」「あの本を書いた著者にも、意見を聞きに行こう」と、イノベーターたちが外へ飛び出していく。
転ばぬ先の杖でも、いざというときの備えでもない。幸せになれる新しい保険。その青写真はすでに描かれつつあるようだ。