2022年1月、長崎県五島市にて「陸上養殖」をIoT化する実証実験がスタート。
地域活性化の協定を結んだ五島市様とKDDIが進める事業の一環で、地元水産事業者の五島ヤマフ様が実験の場を提供する。
その背景には、水産業が抱える人材不足の課題があった。官民連携によって切り拓かれる養殖漁業の新領域スマート養殖。
その裏側に迫る。
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長崎県の西方約100km、11の有人島と52の無人島から構成されている五島市。人口およそ3万5,000人、年間平均気温 17 度と比較的温暖で一年を通して過ごしやすい気候となっている。
古くから水産業が盛んで、定置網や潜水、刺し網、延縄など、さまざまな手法で漁が営まれてきた。魚種も多彩で、ここ数年間の漁獲高は右肩上がりで推移している。
その五島市で、2022年1月、IoT技術を活用したヒラメの「陸上養殖」がスタートした。陸上養殖とは、陸上に設置した水槽で魚介や海藻を飼育する養殖漁業のこと。海面に設置した施設で飼育する「海面養殖」と比べ場所の制限を受けにくく、水質汚染によって魚が病気になるリスクも軽減できるという。
現在進められている陸上養殖のIoT化は、地域活性化を目的とする連携協定で結ばれた五島市とKDDIによるもの。市内で唯一陸上養殖に取り組んでいる五島ヤマフが実証実験の場を提供する。
三者が連携に至った経緯を五島市産業振興部水産課の貞方知己課長は、こう振り返る。
「五島市の水産業は少子高齢化による後継者不足に陥っています。多くの現場で慢性的な人手不足、これをデジタルの力で解決しようと試みたのが今回の実証実験です」
貞方 知己 様
川村 梨紗 様
同課水産振興班の川村梨紗様も地元の水産業者が抱える課題を目の当たりにしてきた。
「少子高齢化は統計データにも顕著に表れています。仕事上、水産業者の方と関わることが多いため、人手不足にあえぐ現場の声を聞くことも少なくありません」
実際のところ、五島ヤマフは養殖場を6人の従業員だけで管理しており、決して十分な体制とはいえない状況だ。
「五島市内での養殖事業とは以前から縁がありました」
KDDI ソリューション事業本部 DX推進本部 地域共創室 藤原正彦は、過去の事例に触れつつ実証実験の意気込みを語る。
「KDDIは2019年から2020年にかけて、五島市内のマグロ養殖場でIoT化の実証実験に取り組んできました。続いて着目したのが、五島ヤマフ様が一手に引き受けている陸上養殖。五島ヤマフ様は多くの魚種を取り扱っていますが、今回は飼育のノウハウが確立されていて市場価値も高いヒラメを選びました」
藤原 正彦
水産庁は、ICT を活用して漁業活動や漁場環境の情報を収集し適切な資源評価・管理を促進するとともに、生産活動の省力化や操業の効率化、漁獲物の高付加価値化により、生産性を向上させる「スマート水産業」を推進しています。
出典:水産庁「スマート水産業の推進に係る検討会等の開催状況について」※ 外部サイトに遷移します。
陸上養殖の様式は、大きく「かけ流し式」と「閉鎖循環式」に分けられる。かけ流し式は、海から引き入れた飼育水を定期的に入れ替える様式。一方の循環閉鎖式は、水槽の水を常に濾過しながら循環させる様式だ。五島ヤマフでは前者のかけ流し式を採用。同社場長の久保聖徳様によると、飼育水の水質にはとりわけ気を配っているという。
「弊社では、地下海水を汲み上げて飼育水に使っています。汲み上げるポイントにもよりますが、地下海水は含まれている酸素量が少ないため、ほぼ無菌状態です。病気のリスクも低く、水温・水質も通年安定しています。陸上養殖にはうってつけの飼育環境を作ることができます」
久保 聖徳 様
ヒラメの稚魚を放した水槽にどのようにIoTを導入するのか。KDDIは久保様にヒアリングを重ねて、一日のなかで労力を要する作業を洗い出していった。結果、餌やりと魚のモニタリングが改善候補に挙がる。
そこで、KDDIはIoT化のファーストステップとして、自動給餌器と水質センサー、水中・水上カメラの導入を提案する。水槽に設置された自動給餌器は餌やりの時間設定が自在で、水質センサーは飼育水の水温・塩分・PH・溶存酸素をリアルタイムでセンシング。個体一匹一匹を判別できるほどクリアなカメラ映像は、体表の状態まで鮮明に映し出す。取得したデータや動画を管理し、パソコン上で閲覧・操作が可能。
「魚が瀕死状態になってからでは手の打ちようがありません。常に泳ぎ方に異常はないか、ヒレや体表に傷はないかなど、目を光らせておく必要があります。これまでは映像やデータも個別で取得していたため、管理も煩雑になりがちでした。今回導入したシステムなら、そのような手間もありません」(久保様)
システムの根幹を支えるのが「KDDI IoTクラウド Standard」である。データの見える化やデータ蓄積などのIoT化に特化したサービスで、センサーからクラウド環境、データ表示機能までワンストップで提供する。
例えば、センサー類であれば2000種類以上を用意。温湿度計や流量計、人感センサーなどラインアップは多岐に渡る。取得したデータはクラウド上で最適化され、大容量の動画でもスマートフォンで快適に閲覧できる。
「感覚的に操作できるので導入もスムーズでした」
そう話す久保様のパソコンには、ヒラメの映像がリアルタイムで配信されていた。
課題解決の兆しが見えはじめた五島ヤマフの陸上養殖であったが、デジタル機器による省力化はIoT化の一側面に過ぎない。藤原は、実証実験の可能性を次のように語る。
「もちろん、従業員の方々の労力を軽減するのは大切です。しかし、蓄積されたデータをもとに生産性を上げて、より美味しい魚を飼育することも等しく重要なのです」
実証実験開始からおよそ4カ月で、ヒラメの稚魚は、月間2.5倍のスピードで成長。一年間で全長30cm近くに達することもあるヒラメだが、この成長スピードは驚異的なのだという。久保様も「知り合いの同業者も感心していました」と手ごたえを感じている。
生育につながるヒントも少しずつ見えてきたという。例えば、飼育水の溶存酸素量。酸素はジェットノズル噴射によって均一に保たれてはいるが、センシングしたデータを分析したところ、餌を与えたタイミングで急激に減少していることが判明。原因は餌やり後に魚の代謝が活発化し、酸素消費量が上がったことによるものと考えられる。久保様は、餌やり直後に酸素量を増やすことで、これに対処している。
今後は成長率と取得データの相関関係を明らかにするべく、分析を進めていく構えだ。また、試行錯誤を重ねるなかで、慣行になっていた餌やりのタイミングも見直すことになった。
「当初弊社では、一日三回に分けて魚に餌を与えていました。ところが、ヒラメの水槽をモニタリングしていると餌の食い付きが悪いことに気付きました。繊細な魚のため、自動給餌器に警戒している可能性も考えられます。少量ずつ丁寧に給餌するために、餌やりの回数を一日十回に分けたところ、食べ残しが以前より目立たなくなったのです。データだけではなく、リアルタイムで観察することの大切さに気付きました」(久保様)
いよいよスタートラインに立った、陸上養殖の実証実験。今後どのように展開していくのか。
藤原は「最終的なゴールは、五島市で”稼げるスマート養殖”を確立することです。ヒラメの養殖が軌道に乗ったときには、新規・既存品種もラインアップに加えて実験をさらに拡大していけるといいですね」と抱負を語る。
貞方知己課長も「五島市の水産業は大きな課題を抱えていますが、水産事業者さまやKDDIと連携して、次世代の漁業を創造していきたいです」と、実証実験に期待を寄せる。
川村様も実証実験の成果を市内外に積極的に発信していく考えだ。
久保様も「将来的には全ての水槽を一元管理するのが理想ですが」と前置きしながらも、「まだまだ人の判断がなければ、美味しい魚を育てることはできません。今回のヒラメがどんな仕上がりになるか、我々の腕の見せどころですね」と意気込む。
現在飼育している養殖ヒラメは、2023年の1月に出荷予定。
官民連携の実証実験によって、五島市の養殖業が少しずつ、しかし着実に変わろうとしている。