「教育の質の向上」が求められるいま、デジタルを活用した学校教育のあり方や授業形態が大きく変化している。
一方、社会が求める人材像も変化しており、新たな発想を生み出す思考や学び続ける姿勢が重要になりつつある。
このように教育のあり方が変わる中で、組織はどうあるべきだろうか。
名古屋大学大学院 教授 内田 良 様をお招きし、KDDIで人材育成に取り組む EX推進部 部長の 梅木 幹夫 と意見を交わした。
―― 教育現場では、生徒の個性や資質に合わせた教育の実施、という教育の質の向上が求められている中、社会に出ると「新しい価値創造」や課題を見つける力が求められる時代です。教育現場においては今後どのようなアプローチが必要になるとお考えでしょうか。
内田 良 様
内田様 コロナ禍での大学教員という教育の当事者として、デジタルの活用に取り組みました。
従来、大学の授業、とくに講義では「対面での一斉授業」が基本であり、先生から生徒へ一方的に知識を与える形態が一般的です。しかし、現代は「教育の個別最適化」の重要性が叫ばれており、子どもたち一人ひとりにあわせて考える機会を提供することが求められています。
また、学生たちの考え方、授業への取り組み方も変化しています。
大学の授業では、対面の授業だったとしても、学生たちはパソコンを持ち込んでオンライン経由で授業に参加しています。曖昧な点があればすぐに検索をして、その情報をチャットに貼って確認してくる。これがいまの大学の授業風景です。
梅木 コロナ禍以前では、会議後のちょっとした会話で、悩みなどを相談する機会も多かったと思います。
内田様は学生とのやりとりについて、どのように考えていますか。
内田様 コロナ禍により、インフォーマルな時間や人との関わりがとても重要だと気付かされました。最初はそのようなコミュニケーションをオンラインで実現しようと、あらゆる方法で試行錯誤しました。
しかし、オンラインはフォーマルな場になってしまい、学生とのちょっとした会話の時間が作れないとわかりました。
そこで、最近ではあえて「対面での人間関係」を大切にしています。他の教員と話すときには研究室まで出向いたり、廊下で学生とすれ違ったときは立ち止まって話したりするようになりました。
リアルとオンラインを対立して考えがちですが、そうではなく、リアルとオンラインの良いとこ取りして、リアルの時は「余白の時間」を作為的に作る工夫が求められるのかもしれません。
―― 教育現場において、デジタルを活用することの現状を教えてください。
内田様 ある自治体で教員を対象に、教育委員会が実施した施策に対する評価を尋ねた調査があります。
評価が低かったのは「教員・学生たちへのタブレットデバイス配布」でした。「教育のICT活用」が重要視されていながら、一部の教員自身がデジタルを使いこなせていない現状があることが分かりました。
OECDが2018年に行った生徒学習到達度調査 (PISA) (注1) でも、日本は学校の授業におけるデジタル機器の利用時間が短く加盟国中最下位で、国際的視点から見ても遅れていることが明らかになっています。従来の学校は本や紙の文化のため、多くの教員が技術革新をキャッチアップできておらず、デジタル活用が遅れているのです。
一方、デジタルを使いこなす中で、業務が増える可能性があります。
従来から長時間労働が問題視される教育現場で、教員がICT活用のために割ける労力や時間はわずかです。そうした中で、デジタル活用を支援する「ICT支援員」が活躍しています。
ICT支援員とは、教員がICTを活用したスムーズな授業を行うことができるように実務的な支援を行う専門スタッフのことで、ICT機器の設定やメンテナンス、ソフトの操作指導、ICTを活用するための改善や助言を行います。デジタル活用には、今後もデジタル活用が苦手な人たちに対する導入サポートが重要だと考えています。
内田様 また、教育のデジタル活用で子どもたちがさまざまなモノを作ったり、編集したりするなど「自ら考える機会」を持てるようになったことで無限の可能性が生まれています。しかし、多くの学校で動画サービスの利用が制限されるといった新たな課題も出てきています。
確かに、ネットの世界には安全面での課題が多くあります。だからといって、子どもたちがデジタルを通じて手に入れられる可能性を大人が取り上げることがあってはなりません。
内田様 伝達手段が文字から言葉、映像へと推移するにつれ、「大人から子どもへ」という上意下達の流れから、「大人と子どもが対等」になりつつあります。
さらに、ネットが当たり前となった現代では、子どもたちのほうが知識を持っていることも少なくありません。
安全面からセキュリティを考えることは重要です。しかし、特定のサービスを一様に規制するのではなく、大人がネット社会への理解をより深めることで、柔軟な解決策を検討することが求められています。子どもたちの安全の土台を作りつつ、子どもたちの可能性を担保することが必要です。
――KDDIではDX人材の育成の取り組みに注力する中、「KDDI DX University」を設立し、知識習得に加え、実践や体験、フィードバックを生かしたプログラムを開発されています。その背景や経緯について、お聞かせください。
梅木 これまで日本企業は、プロダクトアウトの量的拡大で成長してきたと考えています。そうした戦略では、社員が組織の指示に従い、行動し続けることで、企業としての成功を収めてきました。
しかし、結果として「指示を受けて一生懸命行動する人」を多く生みました。
年月が経過し、VUCA (注2) といわれる時代にある現代では、何が正しいか不透明で、年長者だけが正解を知っている時代ではなくなりました。既存のメイン事業だけでは大きな成長は見込めません。当社では通信事業をはじめ金融、教育、ヘルスケア等、新しい事業も行っています。ですから、役職・年齢・性別・国籍など関係なく、多様性のある社員のアイデアや意見を受け止め、活かすことで、社会・お客さまが求めているものをご提供していくことが期待されていると思っています。
梅木 幹夫
そこで社員一人ひとりが考え、それを実現していける組織を目指し、「KDDI DX University」を開設しました。新たな全社研修プログラムに取り組むために、人材育成のための専門企業として「株式会社ディジタルグロースアカデミア」も設立しています。
この全社研修では、役員から一般社員まで同じ内容のカリキュラムを、役員から先行して受講しています。カリキュラムは、DXの定義に始まり、テクニカルな基礎知識などがあり、従来の価値観をほぐして新しい考え方、知識を吸収できる内容となっています。
こうした取り組みを始めるきっかけとして、コロナ禍は大きな影響を与えました。感染拡大防止のため、在宅での仕事が増えていく中、私たちは何をすべきなのか、改めて考える機会になりました。
社員がどうしたら自由闊達に考えられるのか、企業として多様性を維持、受け容れていくためにどうあるべきか。真剣に考えた結果、組織としての人材育成の更なる重要性に気付いたのです。
内田様 役員から受講している、という点は非常に面白いですね。KDDIでは根幹から会社の未来を議論されているように感じました。
教育現場ではデジタルツールの活用は進んだものの、学校組織としていまの時代にどう対応するのか、議論できていないように思います。こうした状況では、自ら考える人材を発掘できなくなってしまうおそれがあります。さまざまな人を巻き込みながら、学校組織として変革のための議論が必要だと、改めて感じました。
また、先日、同世代の教員と「英語が読めるようになるべきか」について議論しました。いまは、デジタル技術によりあらゆる言語を一瞬で翻訳できるため、「いかに速く訳せる仕組みを見つけるか」の方が重要となるかもしれません。
このようにデジタルの普及で、知識のあり方一つにしても根本から変わってしまいます。これまで当たり前と思われてきたことを見直し、じっくり時間をかけて議論するタイミングに来ているのではないでしょうか。
――社会課題の解決やデジタルによる変革が求められる時代だからこそ、組織には多様な人材が求められます。人材の多様性を担保するためにはどのように取り組むべきでしょうか。
梅木 組織には目指す姿があります。その目指す姿をすべての社員で共有し、目指す姿を実現したいと思えば、成長したい、変わりたいという健全な危機感を持てるはずです。
ひとりでも多くの社員がそれぞれ持つ強みを発揮、行動できる仕組みが、組織には求められているのではないでしょうか。
目指す姿を実現したい、そのために自分の強みを発揮して貢献したい、自ら考えて行動したいという内発的動機を持つ社員であふれる企業は生き残り、社員も家族も幸せになれるのではないでしょうか。
また、自己実現の取り組みとして、副業制度を3年ほど前から導入しています。当初は労働時間が増えるなど、反対意見も聞いたことがあります。しかし最近では、社員がそれぞれやりたいことに挑戦する機会づくりの一環として、活用する社員も増えてきました。他部署で興味のある業務を副業として経験することで、その後胸を張って異動したいと言えるような、そんな環境になりつつあります。
それに加えて、社員一人ひとりの多様性が生かされるように、本音を聞き出せるような上司と部下の関係を築くことも重要と考え、1on1を推進しています。いまは、そうした取り組みも努力を続けています。
内田様 一人ひとりが自ら考え、行動できる環境をつくること。
その重要性は、教育現場とビジネスの現場で共通しているはずです。そして、多様性を開花させるためにも「相手を信じて委ねる」ということ。こうした視点が必要な時代になってきていると思います。