著しく成長するプラットフォームサービス。中でも、BtoBtoC型のプラットフォームサービスは、いわゆる「経済圏」を形成することで、多くのプレイヤーの参加を促し、ユーザーにとっての利便性や経済性を向上させる。そうして利用を促すことで、さらに多くのプレイヤーが参加するという好循環を生む。その一方、ユーザーIDの活用やセキュリティ面での利便性とリスク、あるいはCX面での二律背反的な受け止められ方などのジレンマも存在する。
プラットフォームサービスを成長に導くID活用という観点について、青山学院大学 経営学部 教授 小野 譲司 様、および、KDDI株式会社 DX推進本部 岡崎 祐治に話を聞いた。
――近年、BtoBtoC型のプラットフォームサービスが数多く誕生しています。ポイントサービスを基軸にした経済圏を構築し、ユーザーの利便性や経済的なメリットを高めながら囲い込みを図ったり、顧客データを活用した各種施策を展開する動きが増えています。このような取り組みは、顧客体験 (CX) にどのような影響を与えているのでしょうか。
小野様 例えば、Webサイトやアプリを通じてさまざまなサービスを利用する際、個別のログイン認証を必要とせずシームレスに画面遷移ができると、ユーザーはストレスなく快適だと感じるでしょう。その一方、スムーズに操作できていても「驚き」や「感動」が生じなければ、印象に残らないことも多くあります。
想定外のレコメンドはユーザーにとって「心理的な障害物」になります。しかし、最適なタイミングであれば印象に残すことができるでしょう。もちろん、それが全く見当違いな内容であれば反感を呼んで、ユーザー離れを起こします。
ここでユーザーに受け入れられるかどうかの鍵が、ユーザーのデータを適切に活用できているかどうか、ではないでしょうか。
小野 譲司 様
――Webサイトを閲覧していると、過去に検索・閲覧したページに関連する広告が表示されることがあります。このような広告を見て、気味悪さを感じるユーザーも一定数います。
小野様 そこにはプライバシーと利便性のジレンマがあります。多くの人々は、プライバシーを守り、「自分のことを他人に知られないようにしたい」と考えているでしょう。
その反面、頻繁に行くお店では常連のお客さまとして、他の一見のお客さまとは違った特別扱いをされると嬉しいものです。
これは「自分のことを知っておいてもらえることが嬉しい」という気持ちの表れです。
つまり、「自分のことを知られたくない」という気持ちと「知っておいてほしい」という気持ちの両方があり、時と場合によって揺れ動くことは、プライバシーと利便性のジレンマと言えるでしょう。
岡崎 祐治
岡崎 ユーザーのID (アカウント) 管理においても、似ていることが言えます。
従来型のパスワード認証方式の場合、サービスごとに異なるID・パスワードを登録したり、毎回入力したりすることは手間がかかり、そもそも複数のID・パスワードを覚えていられないという人も多いはずです。だからこそ、事業者は利便性の面でさまざま方法を模索します。
利便性を上げる一つの手段としてシングルサインオン (SSO) がありますが、同じ経済圏で実現は可能だとしても、各サービスでSSOを可能にすることなど技術的なハードルもあります。
同じ経済圏でSSOを使わず、利便性を上げたい目的で各サービスを簡単なID・パスワードのみの認証にしてセキュリティを下げるという選択をした場合には、不正アクセスが簡単に行えるようになり、登録されているサービスの不正利用や情報が外部に漏れる可能性があります。
このようにID管理においても、利便性とセキュリティリスクのジレンマがあるのではないでしょうか。
小野先生の話されていた唯一解を見出しにくいプライバシーと利便性のジレンマを踏まえて、お客さまに「広告の表示」や「One to Oneマーケティング」のデータ利用に同意してもらう、という解決手段が考えられます。これにより、データの利用について、オプトアウト可能な同意の世界を作ることができ、「自分のことを知られたくない」という気持ちと「知っておいてほしい」という気持ちの両方にアプローチできる可能性があります。
――利便性とプライバシー、セキュリティリスクといった障壁を乗り越え、プラットフォームサービスが成長していくために、どのような観点を備えるべきでしょうか。
小野様 「シームレスに利用できる」という点は、ユーザーの体験価値を作る代表的な要素です。しかし、売り手と買い手をつなぐプラットフォームの存在意義を考える上で、絶対的に外すことができないのは「プラットフォームの信頼性」です。
例えば、クレジットカード業界のビジネスモデル。クレジットカードの決済システムはBtoBtoCという形態で成り立っています。この仕組みに参加する加盟店にとって重要なのは、「カードで支払われた代金が、後にきちんと精算される」というクレジットカード会社に対する信頼性でしょう。
一方で、クレジットカードで支払いをする利用者にとっては、もしも不正利用があった場合に「カード会社が補償をしてくれる」というリスクヘッジがなければ、カードは使用しにくくなります。
これはタクシーの配車サービスや、民泊・空き部屋のマッチングサービスも同様です。タクシーの運転手や部屋の貸し主にとって、不特定多数のユーザーが利用することはリスクを伴うものです。
しかし、こうしたプラットフォームサービスは、ユーザーがきちんと利用料を支払ってくれることを保証しているため、安心してビジネスができます。
一方、ユーザー側も運転手や部屋の貸主がどのような人物なのかわからないと不安があるでしょう。
しかし、プラットフォームサービスが評価システムを構築していることで、そのような不安を解消できます。
このように、プラットフォーマーは全ての利用者に対して「信頼性」を担保することや、「安心感」を提供することが重要であり、欠かしてはならない大前提だと言えます。
――プラットフォーマーが一定数のユーザーを獲得した後には、利便性やプライバシー、セキュリティといった戦略上の優先順位は変わってくるのでしょうか。
小野様 成功モデルが作られると新たなプラットフォーマーが参入するなど、競争環境が厳しくなります。
そうすると多くの事業者は、プラットフォーム上で扱う商品サービスを増やすなど、事業領域を拡大します。
それによってさらにユーザーが増え、そのユーザーを狙ったサプライヤーの参加も増えます。
ここでさらなる事業成長を目指す際に必要となるのが
「オープンネス」という観点、つまり外に開かれた世界にすることです。ただし、オープンにすればするほど、使い勝手や利便性、品質の統一性が保てなくなるリスクが増します。そうした不確実性をどうコントロールするのか、という点が大切になってきます。
岡崎 オープン化されたプラットフォームはもちろんのこと、大企業がグループ企業と同一のプラットフォームを利用しその上でサービスを運営することについて「セキュリティ」に関して見落としてはならない観点があります。
それは同じ経済圏内のサービス全体でセキュリティレベルを均一に高めることです。経済圏の入り口が複数あるとセキュリティレベル統一の難易度が上がり、セキュリティの投資を分散させてしまい満足のいくセキュリティ対策ができないことも考えられます。このことから、IDを統合することで入り口を限定し、セキュリティ対策を集中させることも一つの手段です。
何故なら、重大なセキュリティインシデントが一箇所でも生じると、グループ企業全体への信頼が失墜しかねないからです。
――多角化戦略を取る大企業では、各社のサービスサイト上で使用するユーザーIDを共通化する動きもありそうですね。
岡崎 ユーザーIDの共通化を進める企業は、着実に増えています。その背景には、いくつかの理由があります。
まず、先ほど小野先生が話されていたように、ユーザーの手間が減ることで体験価値向上が図れることです。
特に、近年増加しているリカーリングやサブスクリプションのような形態のサービスにおいては、月額契約という形で同一サービスを繰り返し利用することになります。そのため、ログイン認証の簡素化は体験価値の向上に大きく貢献します。
もちろん、収益機会を増やすことにも直結するでしょう。
岡崎 また、一人ひとりのユーザーを自社のファンやロイヤルカスタマーへと育成する狙いもあります。
ユーザーの属性情報やデータ利用の同意管理、プラットフォーム上での行動履歴や購買履歴をユーザーIDに紐づけて統合管理することで、商品サービスの最適なレコメンドにつなげることも可能です。
――共通IDを利用することによるセキュリティ面でのメリットもあるのでしょうか。
岡崎 弊社が提供しているID基盤ソリューション
「KDDI IDマネージャー」では、ユーザビリティとセキュリティを両立できるSMS (2段階認証) とFIDO (生体・機器認証) にも対応しています。(2023年3月時点)
セキュリティ運用監視については、キャリアグレードの品質でご提供しています。
このようなソリューションをグループ内の共通ID管理として活用すれば、各事業会社や事業部門が個別にID管理する手間を軽減できます。また、各サービスのセキュリティ対策が統一されていないことで生じるセキュリティリスクも最小化できます。
先ほど述べたように、ハッキング等で一部のセキュリティが破られて重大インシデントが発生すれば、グループ企業全体の信頼失墜につながります。
そのため、世界標準のセキュリティプロトコルを備えた共通IDを、いわば「強力なセキュリティ機能を備えた共通玄関」として設けることで、グループ企業全体に生じるリスクを抑制できるのです。
――グループ企業などで共通IDを導入することに対しての課題はありますか。
小野様 事業の立ち上げ段階から経済圏の構想があった一部のプラットフォーマーを除き、日本の大企業はグループ企業全体を通じた意思統一に苦労しているはずです。既に顧客データベースを保有している企業であっても、他部門やグループ企業に情報提供をすることは簡単ではないでしょう。
岡崎 単にセクショナリズムの問題だけではなく、セキュリティが関連するテーマとなると、横串でのガバナンスを利かせることが難しいという実態もあります。
――そのような課題を乗り越えてIDの共通化を図るためには、どうすればよいのでしょうか。
小野様 異なる事業間で共通IDを導入した先にクロスセルやアップセルの効果が生じるのか、そのシミュレーションや、正確な予測をすることは難しいものです。
だからこそ、一部の部門や店舗から導入する形でスモールスタートを実践するなど、PoC (概念実証) に取り組む方法がよいのではないでしょうか。そこでまずは小さな成果を生み出すことが第一歩です。導入段階から現場と密着して進めることにより、現場の協力が得やすくなるというメリットもあるでしょう。
プラットフォーム事業の成長は、一朝一夕には成し遂げられません。ユーザーからの信頼を積み重ね、ユーザーの体験価値やセキュリティのレベルを着実に高めていく姿勢が求められます。