コップの水がストローで吸い上げられる様子に見立てられている。
地方の公共交通機関は、いま利用客の減少をはじめとする課題に直面している。その要因は、近隣都市圏へのストロー効果 や人口減少による地方経済の減速だ。一方で、学生や高齢者などの住民、旅行者の交通インフラとして、重要な役割にあることに変わりはない。こうした地域の公共交通機関をどのように維持し、さらに地域再生・活性化へとつなげていけるのか。この課題解決に向けて、徳島県、市町村、交通事業者らが推進する「次世代地域公共交通ビジョン」のもとで取り組みが進むのが「徳島MaaS (Mobility as a Service) (注1) 」だ。
2021年の実証実験に次いで、2022年11月から始まった徳島バス、JR四国、KDDIによる「スマホタッチ支払い」の実証実験についてレポートする。
注1) MaaS (Mobility-as-a-Service):バス、電車、タクシーなど複数の移動手段を1つのサービスとして捉え、シームレスにつなぐことで検索・予約・決済などを一括で行えるようにし、移動の利便性を向上させること。
ICカードやスマホをリーダーにタッチするだけで、鉄道でも路線バスでも自由に乗り降りでき、運賃もキャッシュレスで決済される。都市部では日常となった風景だが、地方ではそうはいかない。鉄道では目的地までの切符を購入し、路線バスでは整理券の番号と料金表を照らし合わせて所定の料金を運賃箱に投入するといったケースが今も一般的だ。お釣りが出ない運賃箱もあるので、その場合は両替してから支払うことになる。
林 直人 様
地方でも交通系ICカード (SuicaやPASMO、ICOCA、manacaなど) のシステムを導入すればよい、と思うかもしれない。
だが、交通系ICカードシステムを導入するためには、バス台数によっては億単位にも上るかなりの初期費用がかかる。これは地方の公共交通機関にとって投資負担が重く、徳島県内大手バス事業者である徳島バスも例外ではない。同社企画管理部企画課長の林 直人 様は、「仮に行政からの補助金などを得て交通系ICカードを導入したとしても、数年後に必要となる機材の更新などは、ほぼ自力で行わなければなりません。こうしたランニングコストも含めた投資に耐えられるのか、大きな懸念があります」と語る。
そもそも徳島県内の公共交通機関を取り巻く環境は、厳しさを増している。利用者の減少が進む一方、施設の老朽化や運転手不足といった問題も深刻化している。だからといって安易に路線を縮小したり、廃止したりすることはできない。自動車を運転しない地域住民や、旅行者などを支える足として、公共交通は重要な役割を担っているからだ。
多くの課題を抱える地方公共交通に、今後どのような方向性をもたせればよいのか。徳島県と市町村、バス事業者、JR四国などで構成される徳島県生活交通協議会は、持続可能な地域公共交通ネットワークの構築を目指し、将来構想として「次世代地域公共交通ビジョン」を2019年12月に策定した。
徳島県 県土整備部 次世代交通課 地域交通戦略担当 課長補佐 (リーダー) の宮島 崇 様は、「鉄道や幹線系統バスを中心に、今ある交通資源を総動員し、役割分担と連携によって、県内のさまざまな地域において、誰もがどこにでも行ける公共交通ネットワークの構築を目指します。さらに交通結節点の環境整備やデジタル技術の活用などによって利便性を向上させ、利用者の増加につながる好循環の実現を図ります」と、同ビジョンの概要を示す。
宮島 崇 様
この一環として交通事業者が中心となり始動したのが、「徳島MaaS (Mobility as a Service) 」の実証実験だ。
第1弾として、鳴門公園周辺エリアをスマホ一つで周遊できる観光地づくりを促進する観光型MaaSの実証実験を、2021年10月15日から2022年1月31日にかけて実施した。それを踏まえた第2弾として、「スマホタッチ支払い」の実証実験が2022年11月16日から2023年2月15日の3カ月間にわたって実施された。「スマホタッチ支払い」は、事前に決済方法を設定したスマホを、乗車・降車時に専用のNFC (Near field communication:近距離無線通信) タグにタッチするだけで、バスや鉄道で運賃をキャッシュレス決済できる仕組みだ。
今回の「スマホタッチ支払い」の特長の1つが、共同経営の「通し運賃」にも対応している点だ。徳島バスとJR四国は、2022年4月から徳島県南部で共同経営の取り組みを開始している。共同経営では、高速バス途中乗降と鉄道の運賃面での連携を図り、JR切符や定期券といったJR乗車券類で高速バスの途中乗降を可能にしている (注2) 。運行本数が少ない路線において、バスと鉄道が互いを補完しあうことで、事実上ダイヤが増えることになるため利用者メリットにつながる。
この共同経営区間においては、バスから鉄道、鉄道からバスへと乗り継いでも「通し運賃」が適用されるが、その乗り継ぎも今回の「スマホタッチ支払い」でキャッシュレスに対応している。
なお、本来競合する路線をもつ事業者同士が直接協議し、収益分配を行うことは独占禁止法に抵触するおそれがあるが、徳島バスとJR四国は独占禁止法特例法 (注3) に基づき国土交通大臣の認可を得ることでこの問題をクリアした。今回のように鉄道とバス事業者が連携して共同経営を行う取り組みは全国初 (2022年3月運輸局認可時点) となる。
「キャッシュレスが世の中のスタンダードとなる中で、現金しか使えないのは利用者にとって不便です。また、料金決済をデジタル化することで、従業員の作業負荷軽減や、乗降客動向や季節要因などデータ活用の道筋も見えてきます。交通系ICカードの代替となるシステムを探し、さまざまな会社に相談する中で、私たちの声に真剣に耳を傾けてくれたのがKDDIでした」(林様)
そしてKDDIが提案したのが、今回の「スマホタッチ支払い」のシステムだ。
「台数規模によって一概には言えないものの、交通系ICカードと比べて、概ね1/3~1/6程度の初期費用での導入が見込めます。しかも車載ICカードリーダー (自動改札の装置) を必要としないため、ランニングコストも大幅に抑えることができます。これならトライしてみる価値はあると考えました」(林様)
ここで、「スマホタッチ支払い」の仕組みについて紹介しよう。バスを利用する際の運賃の決済は下図のような流れで行われる。
バスの位置情報は、バスに搭載された高精度位置測位サービス対応機器によってリアルタイムに把握されている。利用者がスマホのロックを解除して、NFCタグにタッチする、またはQRコード (注4) を読み込むと、バスの位置情報とスマホの情報がクラウドシステム上で連携し、乗車バス停・降車バス停を判定、区間運賃が計算される。
運賃はあらかじめ登録したクレジットカードから自動で決済されるため、特別なアクションを必要とせず決済まで完了する。
鉄道を利用する場合も、同様に駅の改札に設置された乗車用、降車用のそれぞれのNFCタグをスマホでタッチするか、QRコードを読み込む。
山田 啓太
「交通系ICカードは処理スピードが非常に速く、利用者の多い都市部に適しているが、導入・維持コストの負担が大きい。地域事情にマッチしたシステムはないか?と徳島バス様からご相談いただいたのが検討のきっかけでした。スマホタッチ支払いの開発に際しては、ステークホルダーの皆さまから現状や課題などをお伺いし、必要な機能、スペックなどを策定しました。コストを抑えるべく、さまざまな工夫を行い地域で導入検討いただける水準のコスト感で利便性の高いシステムを実現できたのではないかと考えております」と話すのは、KDDI側でこのプロジェクトをリードする経営戦略本部 地域共創推進部の山田 啓太 だ。
今回の実証実験にあたっては、利用者や乗務員の利便性を高めるさまざまな機能の改善を図った。
「例えば、本システムはアプリの立ち上げが不要かつ少ないスマホ操作で乗降できることが特長の一つですが、今回の実証実験ではさらなる体験価値向上を実現するべく、NFCタグにタッチした後、スマホ画面に乗降情報が表示されるまでの時間も短縮しています。時間を短縮するために画面遷移や内部処理のロジックを何度も見直してチューニングを進めました」(山田)
また、乗務員の利便性向上については、「乗客がスマホタッチを使ったかどうかが分かりづらい」という要望に応えるべく取り組んだ。乗客がバスから降車するたびにスマホの画面を提示してもらい、正しい区間で決済できたかどうかを確認するのは、今まで以上に乗務員の負担を強いることになるからだ。この問題を解決するために開発したのが、乗務員端末 (タブレット) を利用した通知システムだ。
山田とともに本プロジェクトを進める和田 和子 は、「乗客がスマホでNFCタグにタッチするごとに、タブレット上に音と画面表示で通知します。これにより、乗務員が乗客のスマホ画面をチェックする負担の軽減を図りました。通知音は乗客にも聞こえる音量を設定しているので乗車/降車OKの合図として機能し、乗務員・乗客双方にとってより分かりやすい仕組みが構築できました。『いまスマホタッチ乗車の乗客が何人いるのか』も、乗務員はタブレット上で随時確認できます」と説明する。
さらに、今回の実証実験における最大の“肝”とも言える、モーダルミックスへの対応だ。徳島バスとJR四国の共同経営区間では「通し運賃」を適用する必要がある。
乗客の利用実績に応じて、共同経営区間で乗降があった場合は、即時決済ではなく利用翌日に共同経営区間での通し運賃を判定・決済する仕組みを実装した。乗客側のアプリ内の利用履歴では、利用当日は「料金未確定」として乗降した実績を表示し、翌日になると確定した料金、通し運賃適用によって割引された金額が表示される。
和田 和子
2022年12月6日と7日の2日間にわたり、地方自治体や全国の交通事業者、メディアを対象に実施された体験会では、JR四国の牟岐 (むぎ) 線に徳島駅から阿南駅まで乗車し、徳島バスに乗り換えて橘営業所 (バス停) を経由して徳島駅に戻るルートで、参加者がアプリの事前登録から利用まで一連のスマホタッチ支払いを体験した。サービスレベルとコストのバランスについて、参加した自治体・交通事業者からは一定の評価が得られたという。
宮島様は、個人的な感想と前置きしつつも、「システムの使用感はずいぶん改善されてよくなったと思います。こうした取り組みが広がることを考えると、私たちもわくわくします」と手応えを語り、この成果をもとに今後の地域公共交通ネットワーク構築を前進させていく意気込みを示す。
徳島バス、JR四国、KDDIは、今後もさらにスマホタッチ支払いの使い勝手と実用性を高めるべく検証を進めていく方針だ。路線バスの丹生谷 (にゅうだに) 線では、スマホタッチによる定期デジタル化の実証も並行して進んでおり、学生や地域住民といった利用者の声を聞きながら、今後のさらなるサービス改善に役立てていく考えだ。
だが、このシステムが徳島県内だけのガラパゴス的な取り組みで終わるのでは意味がない。林様は「全国に横展開できるような徳島発のスタンダードモデルにつながれば嬉しいです」と期待を込めて語る。
全国を見渡せば、この徳島県と同じ課題を抱えている地域は少なくないはずだ。
KDDIは、徳島県における地域公共交通のキャッシュレス化に向けた取り組み「徳島MaaS」を引き続き全力で後押しするとともに、「つながる力」とともにさまざまな地域の課題解決に貢献していく。